「……おれさまとしたことが」

「お前、それで何度目だよ…今更んなこといったって、ひいちまったもんは仕方ねーだろ。」

朦朧とする視界の端で小憎らしい赤い背中を睨みつけると、俺さまゼロス=ワイルダーは本日何度目になるか
分からない溜息を溢した。
熱を帯びた体は石の様に重く動くのも億劫で、目蓋が下りてしまいそうになるのを根気で堪えていた。
よりによって、こいつの前で弱味を見せるワケにはいかない。
だが疲労感に酔いしれた体は、思ったよりも正直だった。徐々に薄れゆく思考の中で、もう一人の俺が
「意地をはるな、寝てしまえよ」と呟いている。


思い返す事、数時間前。
クルシスによって天使化させられたゼロスの体は、輝石でその力を抑えられてるとはいえ、それでも通常の人より
怪我の回復が早く睡眠時間も常人の3分の1取れば活動が出来る程だった。
だが、それをロイド逹に気付かれてしまえば今まで自分が積み上げてきたものが難なく崩れてしまう。
本当は誰よりも先に目を覚ましているのに寝ている振りをして、皆が目覚めた頃合いを見計らって自分も支度をする。
眠くもないのに寝ている振りをするのは苦痛以外の何物でも無かった。
だが、この日だけはいつもと違った。
「…い、ゼロス!いい加減起きねぇとマジで置いてくぜ!!」
「……んー…あー、ロイドくん。…珍しく早ぇのな…」
重い目蓋を開いた途端、目前に現れた鷲色の硬質な髪をした少年に、何時だよ、と眉間を寄せて体を起こすと
いつにも増して体が重く節々が痛む事に気が付いた。窓から差し込む光が目に痛い。
「…俺が早いんじゃなくて、ゼロスがおせーんだろ!もう皆待ってるぜ」
「ロイドくん、うるさい…怒鳴んなって、」
ロイドの声が耳を通じ脳みそを揺らす度、酷くなっていく頭痛に眉間を寄せると真横に立った少年は怪訝そうな表情で
ゼロスを見つめた。
(…お、その表情(かお)…くるか?)
「体調わりーのか?」
(…ほらな。)
この男は、愚鈍なようで実のところ勘が鋭い。
直感で生きてるような奴だからな。
「…あー、…いや、多分大丈夫。」
誤魔化す様に唇を弧に描き肩を竦めるが、真っ直ぐと射止める様な視線を向けてくる少年に僅かながら目線が
泳いでしまったかどうかは否めない。

「多分って何だよ。…体調わりーなら、今日はここで休んでろよ。…そんな遠出するわけじゃないしさ」
肩を竦めるロイドに、ゼロスは冗談じゃない、と頭を振った。
未だクルシスとロイド逹を天秤に掛けていたゼロスにとって、ロイド逹の側から離れることはこの先の命運をかける
死活問題だった。
たかが1日、去れど1日だ。
その間にどちらが優位な立場になるか分からない。


「大体、俺さまが居なきゃ誰がロイドくんの回復すんのよ」
「ー回復は、先生がいる。」
「俺さまの華麗な剣捌きも拝めないぞ〜」
「…べつに拝みたくない。」
「ロイドくーん、いつにも増して冷たい…。」
よよよ、とシーツに皴を寄せて項垂れると、ロイドが低い声で唸る様に言葉を発した。
「当たり前だろ、何でそうまでして行きたがるんだよ」
「…あー、もう…だから。…ー大丈夫って言ってんでしょ〜よ。過保護すぎるぜ、ハニー。
俺さま愛されちゃってるな〜、でひゃひゃ」
ロイドが溜息を吐き出した。突き刺さる視線が痛いのは気のせいではないだろう。


「無理して倒れられたら困るだろ」
「…はぁ…そりゃどーも。ご親切な忠告、心に染みるぜ。」
「……んだよ、それ。人が心配してんのに」
ロイドの声音が低く震えたのを聞こえない振りでスルーすると、ゼロスは重い体に鞭を打って起き上がった。
体が軋む感覚に眉間を寄せると、ロイドが「ほらみろ」といわんばかりに息を吐き出した。
「どうなっても知らねーからな。」

「足手まといには、なんねーから大丈夫だって。」
軋む体を叱咤し起き上がると、視界がブレるのも構わず椅子にかけられた上着を手にとり腕を通す。
冷たい風が二の腕を撫で、鳥肌がたった。
悪寒がする。

「……ーあ、れ……」
グニャリ。
目前に立った少年の姿が波を描いて歪んだ。
「…っと、」
足元が崩れ落ちる感覚に、これから襲い来るであろう激痛に堪えるため双眸を細め奥歯を噛み締めた。
だが地へと傾きかけた体は、いつまでたっても其所へ沈むことはなかった。

「、っぶねー…」
脇に差し入れられた腕と、背筋に触れた温もりと吐息。
身を硬直させ恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいたのは顔を顰めゼロスを睨み付けたロイドだった。
「わ、りぃ。」
「……………」
(本気で切れてやがる…。)
体を支えた体制のまま無言で、此方を見つめてくるロイド。その視線が余りにも痛くて、思わず頭を振ると
力の抜けた膝を伸ばし真っ直ぐと立ち上がった。
「もう、大丈夫だから……離せって、」
「……………」
脇から体へとまわされた腕がいつまで経っても離れていかない事に不信感を抱いていると、不意に聞こえてきた
ロイドの溜息と同時に体を突き飛ばす様に離された。
背を押された事で一歩、二歩、と前へ前歩すると今度はロイドの手が腕をがっしりと掴んだ。
眉間を寄せてロイドへと顔を向けるが、ロイドはそんなことお構いなしに腕が抜き取れそうな程の力で強引に
ベッドまで引き摺っていく。
「‥って、オイ!」
ベッドの淵まで辿り着いた所で、自由のきく方の腕でロイドの肩を指が食い込むのも構わずに掴んだ。
「大丈夫だっていっ「いかねーから。」
「…あ?」
「今日は…ていうか、お前が治るまで俺もいかねーから。だから大人しく寝てろよ。
…それでも、行くだなんだって駄々こねるんなら俺も怒るからな。」

「……駄々こねてなんかねーよ。」

散々な言われ様に気の抜けた表情でぼんやりと突っ立ったままでいると、ロイドは話は済んだといわんばかりに
此方に背を向け部屋を出て行った。



・・・そして話は当初の一行目に戻るのだが。


ロイドの手を濡らす白い布が捻りあげられる度、悲鳴をあげる様にボタボタと排水溝目掛けて水滴を落とした。
次いで、ひんやりと湿った布を額の上に置かれそうになって頭を横へと逸らしギリギリの所で其れを回避する。
「なんだよ」
「何って、頭冷やさなきゃ熱さがんねーだろ」
「い、いいから、そんくらい自分でできるっつーの!」
「何が自分でできるだよ。立って歩くのすら間々ならないくせに。」
「ぐっ」
痛い所を突かれ、二の言葉も出ない。
無言で唸っているゼロスをいいことに、その隙に白い布地をまたもや額へと置かれそうになり瞬時に逆の方へと
頭を逸らし回避した。
「……」
「……」
二人の目線が絡み合う。
バチバチと火花が散ったのは、よもや気のせいではないだろう。
しゅばばばばばばばばばっ
ロイドが物凄い速さで右へ左へと行き来するゼロスの額目掛けて白い布地を振り下ろしてくる。
だがゼロスも負けちゃいなかった。熱がある体で、必死になって頭を左右に振っている。誰かがこの場にいたのなら、
二人の馬鹿な行動を止めることも可能であっただろう。
だが、悲しいかな。この部屋には今この二人を止められそうな人物は誰一人としていないのだ。
二人のその攻防戦は十数分もの長い間繰り返されていたが、どちらが先か…あるいは両人同時にか、動きを止めるのを
切欠にそれまで行き届いていなかった酸素を取り戻すべく肩を上下に揺らしながら必死に呼吸を繰り返していた。

「っはぁ、はぁ……おまえ…って、前から思ってたんだけど…ケッコーしつけー、のな」
「っ、……は、……悪かったな、…ていうか、何で…其処まで嫌がるん、だよ…」
「…しるかよ、ヤなもんはヤなんだから、しょうがねーだろ。」
「俺もしつけーかも、しんねーけど、以外とゼロスも頑固者だよな。」

「……はぁ?」

どこをどうとったらそうなるんだ、と眉間を寄せ表情をゆがめた。

「出会った当初はすっげー軽い奴だと思ってたけどさ、…何か話してる内にイメージ変わった。こうだと決めたら
意地でも曲げそうにねーもん、オマエ。」

なんか、そーいうとこ、すげー俺とにてるかも。

「ええ〜?」
「……なんだよ、その不満そうな顔は」
「…だーってよー、ロイドくんと似てるってことはぁ、俺までアホという設定にイデッ」
旋毛の辺りを思い切り拳骨で殴られた…。
「アホで悪かったな」
目頭に若干涙を浮かべつつ頭を摩る。怒ったか?と思いつつ相手の顔を伺い見ると緩く弧を描いた口元が
そうではないのだと否定していた。
ロイドに気付かれない様にこっそりと安堵の息を吐き出して、そこではたと気付いた。
別に、ロイドが怒ろうが笑おうが、ゼロスには無関係のはずだ。
なのに、心の何処かで「今度こそ嫌われてしまったんじゃないか」「今度こそ愛想が尽きてしまってんじゃないのか」
とビクついている自分がいる事に気付いてしまった。
(……まぁ、なんだかんだで俺もこいつのこと嫌いじゃねーしな。)
笑っている表情をまじまじと見つめられていた事に気付いたのか、ロイドが息を吐き立ち上がった。
伸びてきた掌に身を引こうと腰を捩ると「動くな。」と思いのほか強い口調で咎められてしまった。
おきて逃げ出す気力も、先程の行為で使い果たしてしまったゼロスはわざとらしく溜息を吐いて額を曝け出した。
指先が額にあたる。ロイドの掌は思いの他冷たかった。ゼロスの双眸を覆う様にして指先で額の温度を確認すると、
次いで自身の額との温度と比べる。
その一連の動作をぼんやりと見つめていると、先程計った時と大差なかったのかロイドが小さく頭を振った。
「ていうか、もう寝ろよ。こんなんじゃ、いつまでたっても熱さがんねーだろ。」
「……おー。」
シーツの隙間からはみ出した掌を、ひらひらと揺らし「了承」と合図を送ると、ロイドは此方へと背を向けた。
カツカツとタイルを鳴らす靴の音が心地良い。

「…おい、ロイド。」
扉の取っ手を握り締めた所で、ロイドが振り返った。無意識だったとはいえ、呼び止めてしまったことに酷く後悔した。
呼び止めておいて何だが、自分でも何が言いたかったのかわからなかったのだから始末に終えない。
じりじりと肌を焼き尽くすような視線が痛かった。
「…えーと、…さっきは…悪かったな。…別にお前のことが嫌だとかそんなんじゃねーからよ」
ロイドの中では既に終わった事らしかった。何のことだか分からない、といった表情で首をわずかに傾げたロイドに
小さく息を吐き出す。
「だから、おしぼり」
ああ、と頷いた少年に、視線を真正面から受け止めることができず、左右へと泳がせる。
(何で、俺が動揺してんだっつの……。)
ゼロスは相手に気付かれない様、もう一度こっそりと息を漏らした。
思い直せば、ゼロスは今まで一度たりとも真っ当な人間関係を結んだことがなかった。
其れは周りの環境のせいもあったが、何よりもゼロスがそれ<人との信頼関係>を拒否していたことが
一番の原因だった。
人と直面で交わることが怖かった。拒否される事が、たまらなく、怖かった。
だから、いつも偽者の自分を演じていた。…神子、としての、自分を。
だから、相手に対し心から謝ったことも、相手に嫌われたくないと思ったことも今まで一度すらなくて
初めての体験にどくどくと心臓が強く脈を打った。

「…慣れてねーんだよ、ああいう事されるの」
腑抜けた顔を見られたくなくて、シーツを口元まで擦り上げるとロイドへと背中を向けた。
「そっか。」
「……寝るぜ」
話は済んだ、と言わんばかりに掌を揺らすと、扉を開く音と同時に柔らかい笑い声が聞こえた。
「おやすみ。」

何故だか、今日はいつもより眠れそうな気がする。

ふと先刻見たロイドの笑顔を思い出しそうになり、誤魔化す様に頭を振るとまどろみに身を任せ双眸を
ゆっくりと落として行った。


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2008’04’25
ろいどとぜろす。せいぞんるーと。