「カプチーノでございます。伝票は此方に置いておきますので、御用が御座いましたら
あちらの鈴を鳴らし御呼びください。」

薄いブルーで焼かれた花柄模様の珈琲カップを二つ、ブルーのガラスでできた机の上へと乗せると
ウェイトレスが一礼し、興味深そうに双方の顔を見つめ、カウンターへと引き返していった。
モーニングタイムの喫茶店は、出勤前の会社員や奥様方で賑わっている。
珈琲を啜りつつ新聞を広げる者や、話に華を咲かせるもの、各々が一日の始まりの朝を
楽しんでいるようだった。
カプチーノに口を付け、一啜りすると士郎の目前に座った男は思案するように、双眸を伏せた。
 「―OK、ンで、今の話を簡単に纏めると‥オレがお前になりきればいいってことね。」

 「ああ、その報奨で、俺の地位も家も全てお前にくれてやる。」
男は感情を読み取らせない表情で「あ、そう。」と一言だけ漏らすと、キャメル色の上質な布で
拵えられたズボンからジッポとマルボロを取り出した。
だらだらと伸ばされた髪は長さもバラバラで、だが男の個性を上手く表現していておかしくは見えない。
前髪を気だるげに、かき上げると煙草を唇で銜え中心にターコイズの石を嵌められたクロスのジッポで
火をともす。
 「―チッ。…うぜえったらねえな。」
 「……そんなに気にする事かよ、いつものことだろうが。」
先刻から、二人をちらちらと見つめる視線に気付いてなかったわけではない。
士郎と向かい合った席に座った男は、伸ばされた前髪からのぞく双眸も鼻梁も口元も。
二人は全てが見分けのつかない程に酷似していたのだから、周囲の関心を引くのは致し方ないだろう。
 「だから電話ですませろっつったんだ、面倒臭ぇ。」
ブツクサと文句を言う男に、士郎は苦笑すると先程の答えを促すべくカップを机へと置き表情を引き締める。
 「で、答えはまだ聞いてないんだけど…どうする、猛。」
 
猛と呼ばれた男は「何を今更。」と大げさに肩を竦め、それまで伏せられていた双眸を持ち上げ士郎を
見つめた。
 「やる気がねえなら、こんなクソ長い話に最後までつきあわずソッコー帰ってる。オレの性格は
片割れのお前がいーっちゃん知ってるんじゃねーの?」
猛は意地悪く唇を歪めて、ケタケタと腹を抱えて笑いだした。
目元に涙まで浮かべて、思いっきり笑う猛に真後ろの席に座った客人が変なものでもみるような
視線をおくってくるが猛も士郎も気にしたそぶりはない。
無言のままに珈琲を飲み続ける士郎と、周りを気にせず大声で馬鹿笑いをする猛。
傍から見たらおかしな光景だろう。
 「…はー、笑った。」
肩を上下させ腹をさする猛に、士郎は溜息を一つ零しウンザリしたように双眸を細めた。
 「薬、やめろよ。…煙草もな。」
顎で猛の手元をしゃくる。
猛は不本意そうに鼻をならすと
 「やめるよ。お前になりきるっていうのが条件の『契約』…だしな?おにーさま」
目前のオモチャに興味を失った子供のように、ガラス越しの外へと視線を泳がせた。
 「髪も切らないとなぁ。あーあ・・この髪型気に入ってたのによ。」
そういえば、と士郎は記憶を辿った。この髪型に何かしらの拘りがあるのだろう。
士郎が初めて猛に接触を試みたのが、21歳の夏だった。その時期からずっとこの髪型を変えていない。
ということは、猛は少なくとも5年以上この髪型でいたことになる。
士郎は、「金なら出すから、うざったいから髪を切りにいけ。」と何度も勧めたのだが
その度に過剰なまでに憤怒し話も聞かず帰っていく猛に、ここ数年髪の話題すらださないようになっていた。
 「さてと、オレはもーいくぜ。色々しなきゃいけねぇこともできたしな。…会計よろしく〜」
猛は、ジッポと煙草をズボンの中へと戻し、こちらに視線も送らず出口へと続く通路を歩き出す。

―――…期待なんかしていなかったはずだ。
猛が、士郎を憎んでいることなんて、ずっと知っていた。
士郎が病気で余命半年だと分かった所で、喜びさえすれ悲しむなんてことはない。

―――分かっていたはずなのに、こうも素っ気無い反応を返されると…中々こたえるな。

唇を自虐的に歪める。
もう二度と会うことのないだろう自身の片割れの後ろ姿を、記憶に刻み込むように穴があく程見つめた。

 「―…。」

猛はふいに立ち止まると、士郎のほうへと振り返った。二人の視線が絡み合う。

 「一言いっとくけどよ、お前がやってることは、自己満足以外の何でもねぇ。
ま、俺は会社も手に入るし、お前の遊んでたオモチャにも興味あったし一石二鳥なんだけどな」
猛は挑発的に唇を歪め、不可解なものでもみるように双眸を細め士郎を見下ろした。
 「……知っているだろ。アーチャーは生まれつき心臓も弱いし、…負担かけたくないんだ。
それに、会社も…アーチャーの傍にいる役割も本来猛の『モノ』だった。お前に『返す』のは
当たり前のことだったんだよな……遅くなって、ごめん。」
 「…ハッ…白々しいんだよ、テメェ。今更、だろ?」
猛は、士郎の謝罪を拒否するように目線を逸らし表情を固まらせると忌々しげに舌打ちをした。
―――馬鹿が。
蚊のなくような小さな声でそう吐き出して、今度は立ち止まることもなく外へと続く木製の扉を押しやり
人込みの中へと去っていった。
 「―…っ。」
猛が姿を消したことに安堵して、それまでずっと我慢していた胸を苛む鈍い痛みに眉間の皺を深くした。
必死に、呼吸を保とうと二度、三度と深呼吸を繰り返す。そのままの体制を維持することもしんどくて
横へと倒れそうになる体を、机に額を押し付けることで何とか支えた。
空気が喉元を通りすぎ唇からひゅーひゅーと零れていく情けない音が聞こえる。

 「大丈夫ですか?」

胸を押さえ、顔を持ち上げると猛の後方に座っていた男が、士郎を覗き込むように屈みこんでいた。
細いフレームの眼鏡のおくにある、涼しげな切れ長な双眸。薄い唇。
遠目には気付かなかったが、その男の顔には見覚えがあった。

 「…―先生。」


俺に、死を告知したひとだった。






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脇役ばっか出張るのね。
しかもオリジナルときたもんだ(爆笑)。

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